ホテルバーとは文字通り、ホテルの中にあるバーです。
もちろんそれだけでは何の説明にもなりませんね。
ホテルバーというのは日本や世界のバーの歴史を紐解く時に重要な位置づけをされます。キーワードは「伝統と格式」。
バーは幕末〜明治維新期に欧米(アメリカ)から日本(横浜)に伝わってきたもので、やはり主たる客は外国人。ということは海外からの来客をもてなす場所=ホテルの中にバーを設けることが必然となります。そこから発展して、明治〜昭和初期まではカフェーと呼ばれる街場のバーやスナックの前身とも言えるお店が盛んに営業をしていたそうです。こうしてホテルは海外からの来客(VIPや軍の将校クラス)、カフェーは比較的余裕のある一般層や海兵など、という住み分けがされていました。
そして第二次世界大戦によってその文化は一度途絶えますが、現代まで伝わるバーの文化は終戦直後のGHQ接収時代から芽生えはじめます。
舞台は大正11年創業の東京會舘。ホテルではなく、平たく言えば宴会場ですが、今日まで存在する由緒正しき存在です。
ここが終戦後に米軍GHQに接収され、「アメリカン・クラブ・オブ・トーキョー」として主に米軍将校のパーティーなどに使われるようになります。ここで働いていたのが、ミスター・マティーニとして名高い今井清氏などの伝説的なバーテンダーです。当時の一般庶民がその日食べるものにも苦労する中にあって、そこからは考えられないほどの豊富な酒と最新の情報が集まる隔絶された世界だったそうで、さながらトップバーテンダーの養成所のような所になっていました。そんな環境下で、日本のバーテンダーとカクテルは独自の進化を遂げていき、今日まで伝わるスタイルが出来上がりました。
そして1952年に接収解除となり、ここで技を磨いた名バーテンダーが各地のバーやホテルバーに散らばっていきました。どうもドラゴンボールの精神と時の部屋よろしく、東京會舘の外に出てみたら自分の仕事が世間と比べてかなり高いレベルに達していることに気付いた、なんてこともあったようです。中でもパレスホテルや帝国ホテルは近隣であることや戦前から業務提携関係にあったこともあり、東京會舘出身者の名残の強いバーになっています。そこから、格式の高いホテルには格式の高いバーを、という考えが一般化していったものと思われます。
幕末〜昭和初期にかけての横浜や日比谷周辺のホテルから、東京會舘時代を経てまた高度経済成長期のホテルへ。ホテルのバーにはそうした日本のバーの黎明期からの血統が、現在まで息づいています。
しかし、ここで一つ注意点があります。ホテルのバーならどのホテルでも血統書付きの正統な味わいや体験が得られるのかというと、そういうことではありません。街中のバーに色々と個性があるのと同様ですが、少し厄介なのが、ホテルのバーは中身がどうあれ「一見ちゃんとしている」ということです。
もちろんホテルですからスタッフはきちんとした身なりをし、接客もきちんとしています。しかしバーのスタッフは「バーテンダー」ではないことも多くあり、隣接するレストランのスタッフが片手間、もしくは持ち回りで担当しているということもしばしばです。そうなると、やはり技術的には本業のバーテンダーには見劣りしてしまいます。その一方で、価格だけは血統書つきというホテルがほとんどですので、もちろんその場に何を求めるかによっても変わってきますが、一般にひどく割高ということになります。
ホテルが高級であれば、名の知られたホテルであれば大丈夫ということもありません。良いホテルバーは、ホテルと同等もしくはそれ以上ににそのバーの名前が有名ですので参考にしていただければと思います。例えば横浜のホテル・ニューグランドの「シーガーディアンⅡ」、ホテルニューオークラ東京の「オーキットバー」「バー ハイランダー」、帝国ホテルの「オールドインペリアルバー」などは好例です。もちろん他にも素晴らしいホテルバーは沢山あります。
バー単体というよりも、伝統あるホテルの一部、あるいはホテルの顔としてのバーを楽しみたい時は、ホテルバーがオススメです。
日本の現在のバーテンダーの源流や東京會舘、ホテルバーについて知りたい方は下記の本が詳しいです。
日本マティーニ伝説トップ・バーテンダー今井清の技(小学館文庫)
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